“蕎麦”に携わる人々の想いを紡いでいく、【そば色ノ日々】。今回は、高校時代には蕎麦打ちで全国優勝の経験を持ち、大学で商業を学んだ末に、現在は蕎麦のアップサイクルの可能性を追求しながら、よりサステナブルな“まちづくり”を目指す、石川朋佳さんのお蕎麦にかける“想い”を紡いでいきたいとおもいます。
プロフィール |
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<石川朋佳さんの略歴> 1998年(平成10年) 10月6日生まれ。北海道出身。中学校の修学旅行での農業体験をきっかけに、高校は幌加内高校農業科へ進学。大学では商業を学び、現在はメーカーにて営業職をしながら幌加内の蕎麦のアップサイクルの可能性を追求しサステナブルな街づくりを目指している。蕎麦打ち段位3段。第七回全国蕎麦打ち高校生選手権大会個人戦、団体戦、全国優勝。 |
──石川さん、本日はお忙しいなかにも関わらず、こうしてインタビューのお時間をいただきましてありがとうございます。先日、石川さんの活動をSNSで知り、様々なご縁からこうしてお話を聞く機会をいただけたこと、大変に嬉しく思っております。是非、多くの人に石川さんの活動を知ってもらえたらと思っています。本日はよろしくお願いします。
こちらこそ、本日は貴重な機会をいただきありがとうございます。是非、私の活動を知って頂き、仲間が増えたらとても嬉しく思っています。よろしくお願いします。
──早速なのですが、石川さんが“お蕎麦”に出会ったきっかけについて教えて頂けますでしょうか?
私は生まれも育ちも北海道です。そもそも農業に興味を持ったきっかけは修学旅行で岩手県に行った際の農業体験です。とても当たり前のことではありますが、生きるためには食べ物が必要で、そうした生きるための原点である“食”を、生み出す側として人々を支えることができる農家になりたいと思いました。農家になるためには農業科の高校に行こうと思い幌加内高校の農業科に進学したことが蕎麦との出会いです。
特に“蕎麦”をやりたいと思って農業科に進んだわけではないのですが、幌加内町の大半の農作物が実は蕎麦です。もち米など他の作物もあるのですが、蕎麦が町を支えているんですね。ちなみに幌加内は、蕎麦の生産量日本一の町なんですよ。
そうした背景もあり、高校では農業全般を学ぶのですが、必然と“蕎麦”に比重を置いた学びの時間が多いんです。一通りの“農業”を学ぶだけではなく、“蕎麦打ち”が必修科目としてもあって。笑 蕎麦打ち部は多くの学校であるとは思いますが、必修科目としての蕎麦打ちは、幌加内高校だけだと思います。
当時は、本当にひたすらに蕎麦を打っていました。大会に勝つため、段位を取るために、いかに美しく蕎麦を“魅せる”かを日々追及してきました。
そうした蕎麦に学業の中で、蕎麦の教師として出会った【坂本さん】の、生産者として、経営者として、そして地域の代表者としての姿にとても感銘を受けて、私も坂本さんの手助けをしたいと思ったことが、今でもこうして私が蕎麦に向き合っている原点だと思っています。
坂本さんは、全麺協の素人そば打ち段位の審査員をやられていたり、幌加内町の製粉工場を経営されていたりと、本当に多岐に渡る活動に取り組まれていらっしゃっていて、学ばせていただくことが沢山あります。
もしも坂本さんが取り組まれていることが、蕎麦ではなかったなら、もしかしたら今のように蕎麦に取り組んではいなくて、別の食に関することに携わっていたかもしれないくらい、私の人生に影響を与えられました。
──坂本さんとの出会いが、石川さんの人生にとても大きなきっかけ作りをしてくれたのですね。坂本さんのどのような姿に一番感銘を受けたのでしょうか?
一番は、坂本さんが大切に想っていることですね。坂本さんは人生をかけて、幌加内を次の世代へ繋ごうとされています。正直、今のままで自由に生きていくことはなにも問題はないのですが、次の世代のこと、そして幌加内をより良い地域にしていきたいと、未来を見据えて常に活動をされている姿、本当に尊敬しています。
幌加内の蕎麦の文化を絶やさないための、蕎麦打ち教室、また、幌加内の蕎麦を販売する東京の物産展に学生時代に連れて行って下さるなど、常に次の世代のコトを大切に考えていただいていて、私たちも頑張らないと、という想いが、坂本さんと接しているうちに、日に日に強くなっていきました。
──蕎麦打ちで全国一位になったりとされた中で、坂本さんとの出会いが、お蕎麦を打つだけではなく、お蕎麦文化をより発展させていきたいという今の石川さんの活動に繋がっているのですね。
その通りです。
高校を卒業後、進路を考えていた際に、農業をどのようにしたら、商業とか流通の面からより広めていけるのかということを学びたく、小樽商科大学の商学部に進学しました。地域ブランディングであったり、地域の作物にどのように付加価値をつけることでより多くの人に知ってもらい、手に取ってもらえるのかということを学んできました。
現在は、とあるメーカーの営業職として、主に農業や食品系の新規開拓の仕事に従事しています。
──輝かしいお蕎麦の経歴もあって、蕎麦業界からのオファーも沢山あったのではと思いますが、今のお仕事を選ばれた背景を教えてください。
おっしゃる通り、お蕎麦屋さんからもお声がけを頂きました。
ただ、蕎麦打ちに関しては職人の皆様の足元にも及ばない中です。また私は幌加内蕎麦をより広めていきたいという思いがあります。職人として蕎麦を打っていくのではなく、一度外の世界に触れて、広い視野を持って、この幌加内蕎麦を全国、全世界にどのように広めていくことが出来るかを考えることで、幌加内町に貢献していきたいです。今の仕事もありがたいことに沢山の生産者とお会いすることができます。営業職は出会った方の悩みを解決する、つなげる役割でもあると思っているので、今の職を選びました。
実際に、現業を通じて、蕎麦打ちをしているだけでは気づくことが出来なかった、“蕎麦の循環”に着目する気づきを得て、今の活動に繋がってもいます。
──蕎麦のアップサイクル活動ですね。是非、詳しくお話をお聞かせください。
実は、蕎麦を挽いて、蕎麦粉をつくるなかで、栄養があるのに捨ててしまう部分がかなり多いのです。私はそこに着目して、アップサイクルのアイディアを日々考え、企業様とのコラボに向けて動いています。
特に、蕎麦殻と、甘皮が捨てられてしまっている現状が本当にもったいなく思っております。町の生産者の皆様も同じ思いであったのですが、本業が忙しいこともあり、なかなか動きだせていなかったところを、私が今、活動に移していこうと日々奮闘しています。
具体的には、草木染の技法で蕎麦殻で色染めをし、服を作ってみたり、お茶やビール作りにも今後挑戦していきます。勿論、私一人でできることではなく、多くの企業様と共同で新しい価値を生み出そうと頑張っています。
また、こうした動きも、蕎麦の世界から一度外に出たことで、新しい繋がりからの、新たな気づきから生まれたアイディアが生きていると実感しています。
──とても行動力がありますね!
こちらのアイディア、実は2023年の3月末に頭の中で妄想がぶわーっと広がって、居てもたってもいられずに、4月には動き出し、具体的な方々との話しをしていくなかで、一気に絵を書き上げることが出来ました。
もともと私は、本業の傍ら、蕎麦を広めるために、蕎麦打ちイベントはやってきていたんです。月に一回の出張蕎麦打ちや、EbiOilをつくっていらっしゃるフードスタイルストの齋藤亜希さんとたまたま飲食店で隣の席になり、札幌市内の飲食店minotakeさんで蕎麦コラボイベントをやったりとしてきました。
その他にも、老人ホームで特別食としてそばを提供する機会をいただいたりなど、幌加内蕎麦を広める活動に力をいれています。
そうした人とのつながりや、社会人としてビジネスを学んできたことによって、お蕎麦を打つだけではない、新しい価値の創出の為の動き方が出来るようになってきました。
様々な方のご紹介はもちろん、営業職として新規開拓を本業としてやっていることもあり、直接の電話やメールを贈ることにある程度躊躇もなくなり、活動の幅がどんどん広がってきていることを実感しています。
──今後の展望、スケジュールなどを教えてください。
商品開発のために補助金が先月採択されました。そのため、甘皮のソバ茶、ソバ殻での草木染の衣服開発をまず形にしていこうと計画中です。
現在ご依頼させていただいている工場の焙煎技術が素晴らしく、甘皮部分の香りが深いままです。通常のそば茶とは違う新たな価値を、しっかりとプロモートしていきたいと思っています。
また、洋服に関しても、そば殻での染作業も、実験が上手くいっています。ソバ殻を利用した洋服づくりにも挑戦しています。
こうした取り組みを、今後はさらに幌加内に還元させていき、一つのモデルケースとして確立させることで、全国の市町村にもGXとして広めて行けるように発展させて行きたいと思っています。
そのためにも、ぜひより多くのお蕎麦に携わる方々と繋がっていき、可能性を広げていきたいので、<そば色ノ日々>に掲載されている皆さまともどこかでお会いできると嬉しく思っています。
<最後になりますが、石川さんにとっての“そば色”を教えてください>
【“白ですね”】
なんにでもなれる可能性が秘められている、そしてそれは私自身にも言えることだと思っています。またそばの花は真っ白なんです。幌加内町は、ソバの花により「一年に二度雪が降る」と言われています。まだまだまっさらな状態ですが、今後様々な経験を積みながら、自分の色に染め上げていけたら嬉しく思っています。
【石川さんSNS】
Instagram:@henai_10