あみだそば 初代 【永見 雄二】さん
“蕎麦”に携わる人々の想いを紡いでいく、【そば色ノ日々】。第4回目の今回は、福井駅近くで長年にわたり県内外の多くの方々に愛される”あみだそば”の初代、永見さんをご紹介させていただきます。
プロフィール |
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<あみだそば初代 永見 雄二さんの略歴> 稼業の木材屋を継ぎつつ、趣味で打っていたお蕎麦の高い評判から、いつしか本格的に蕎麦の道に入る。あみだそば創業。現在は二代目と二人三脚で越前おろしそばの魅力を全国に伝えている。 |
──本日はお忙しい中にも関わらず、インタビューのお時間をいただきまして本当にありがとうございます。早速いろいろとお話をお伺いしていきたいと思いますが、まずは、永見さんがあみだそば創業されるに至った経緯をお話お願いできますでしょうか。
元々はいろんなことをやってきました。元々稼業が木材屋だったこともあり、製材した木を卸したり、木も実際に切っていました。また、大工として家を建てたりと、いろんなことをやってきました。弟も大工をやっています。
勉強が得意な方ではなかったので、家業を継ぐことを考えて、色々と手伝いをしていました。
ただ、何分飽き性なところもあったりして、他に面白い、新しく挑戦出来ることはないかなぁと常に考えていました。
時には、電話の配線をやってみたりと、建築に関わることで、自分にもできそうなことはとりあえず色々とやってみていました。
そうした仕事の傍ら、若いころには青年団に入っていまして、ちょっと今でいうところの意識高い系といいますか、平和であったり、社会問題について深く仲間と考えていた時期がありました。
幼いころから人間ってなんなんだろう?生きるって何なんだろう?と考えることが多かったです。また、”死”について深く考えていたこともありました。
人間の存在って何なんだろうと考えているときに、そうだ人生を悟る為にも旅に出ようと、青年期に思いたち、京都や奈良を回っていました。
時には映画を見たり、自然ってなんだろうなと思いにふけったり、様々な考えや宗教の人に出会いました。
2か月くらいそうした生活をしていた24才の時に、四国を歩いてみたこともありました。何か悟りが開けるのか?と期待していたのですが、結局開かなかったんですね。
ずっともやもやと悩み悩み悩み続けながら、地元に帰って、また暫く青年団活動をして負いました。
そうこうして30歳になるくらいの時に、とあるお坊さんとの出会いがあったんです。そのお坊さんのお話を聞いていると、自分が悩んでいたことがすこしすっとしていくことを感じ、色々とお話を聞くようになりました。
そして、そのお坊さんは福井に来たのは、実はお蕎麦がすきということもあって、越前おろしそばを食べにいらしていたんですね。
──お蕎麦に繋がるお話になってきましたね。
ここでお蕎麦の話しに繋がっていきますよ。
私の父は、年越し蕎麦を自分で打ってみたりしていたこともあって、自分自身も子供のころに少し蕎麦打ちもしながら育っていたんですね。
蕎麦を打っている人ならみんな同じ感覚をお持ちだと思いますが、”おらがそば”と言いますか、自分が打つ蕎麦って、誰にも負けない美味い蕎麦だと感じるものなんですね。
そこで、そのお坊さんに、是非自分の打った蕎麦を食べて貰いたいなと思うようになりました。また折角食べて貰うならば、上手に打てるようになってからじゃないとだめだなと思い、2か月間、本当に毎日、蕎麦を打ち続けました。
それだけやると、流石に上手にはなりましたよ。
2か月間で60日、毎日蕎麦を打っているわけですから、例えば趣味で、10年間で60回打つのとは密度が全然違う。本当に上手になったと自信がありました。
そこで、お坊さんに自分が打った蕎麦を食べてもらうために、京都の嵐山までもって生きました。早速お蕎麦を食べてもらったところ、お坊さんからも「これはうまいなぁー」と言っていただけて嬉しかったですね。お蕎麦だけじゃなく、当然出汁づくりにも命かけてやりましたよ。勿論無添加で、京都という土地柄も考えて、薄口の方がいいなと考えたり。出汁醤油と、おろしの辛味が本当に良くあう良いおろしそばを作ることが出来ましたよ。
それから4年くらい、年に4,5回は、そのお坊さんにお蕎麦を打って、食べてもらうことをしていました。
そうこうしていると、そのお坊さんに、ここまでのお蕎麦を打てるんだから、いっそのこと、蕎麦屋をやったらどうや?と言われたんです。 たしかに、仲間内で食べてもらってる時にも、みんなから「うまいなぁー」と言われていたこともありましたし、お坊さんのその言葉にも背中を押されて、今立でまずはお店出しました。36歳の時ですね。実はちょうど稼業も、そろそろしめようかという話にもなっていたので本当にタイミングですね。
──開店当初は如何でしたか?
当初は少し苦労した時期もありましたね。お店を開けていても、2,3人しかお客さんが来ない日も有りました。
個人的に、オープン景気のようなことは性分に合わないこともあって、決してやらなかったんですよね。
福井駅前のハピリンでお店を開いた時ですら、一切何もやらなかったんです。 媚びるみたいなことは好みではなくて。笑
──その後、こうしてあみだそばが全国に名前が知れ渡るようになったわけですが、拘りについて教えて頂けませんでしょうか。
越前おろしそば一本、に拘っています。
時にソースカツ丼もないか?と聞かれるコトもあるのですが、やっぱ私は蕎麦に拘りたいですよね。
自分の蕎麦なら、誰にも負けないという自信も有りますしね。蕎麦に拘っている、それがすべてですね。
ただ、お蕎麦に合うものであれば取り入れることもしていますよ。例えば人気の、焼きサバについては、本当にうちの越前おろしそばの魅力を倍増させてくれていますよね。そうした、掛け算が出来る合わせ技は、日々研究していますよ。ぜひうちにいらした際は、焼きサバも愉しんでください。身をほぐして、おろしそばと一緒に食べると、本当に美味しいですよ。
また、越前おろしそばと言えば、蕎麦も大切ですけど、やはり出汁もお蕎麦と同じくらい重要なんです。出汁がいまいちだと、いくらお蕎麦が美味しくても、残念なおろしそばになってしまいますよね。この出汁については、企業秘密ですけど、お店を始めた最初のころから、ほとんど変わらずに続けている。それが拘りですね。
私が考える、越前おろしそばはですね、大根おろしに出汁醤油を絡めることで。素材がうまく絡み合っている、それが自慢の越前おろしそば。県外だと、冷かけ汁に、大根おろしを乗っけて、おろしそばとして言っているお店もあると思いますが、そうではない、大根の汁が大切なんですよね。極端な話、大根おろしを絞った汁を、出汁醤油にかけ合わせるだけでもいいくらいだと思っています。
──あみだそばさんの一つの特徴として、平打ちのお蕎麦ということもあると思いますが、平打ちへの拘りはありますか?
幼いころから食べていたお蕎麦が、やや平打ちで、中太のものが多かったので、自然とこれが自分の蕎麦になっていますね。細いお蕎麦だと、ちょっと物足りない気分になります。越前おろしそばはのど越し、ではなくて、良く噛んで、口の中で大根おろし、かつお節、出汁醤油、そして蕎麦が上手に混ざり合うのが魅力だと思っています。
──遊歩庵の名前の由来も教えて頂けますでしょうか?
最初は、お坊さんからつけてもらった、念仏蕎麦として始めたのですが、近くに同じ名前の蕎麦屋があって、やめてほしいと言われて、あみだそばにしました。また、青年の時もそうですが、一か所に留まるのではなく、ちょっと依頼を受けたら、出張蕎麦としてもやっていたんですけども、そうしたことから、【遊び、歩く、蕎麦】で、遊歩庵と名付けました。
もともとこの福井駅前のお店も、2,3年、長期出張ぐらいな気持ちでやっていました。次は東京で試しに”遊歩庵”をやってみてもいいかもと考え始めてもいますよ。
──今後の展望についてもお話いただけますでしょうか?
もっと福井全体のことはもちろん、越前おろしそばを全国に広めていって、多くの人に知ってもらいたいという思いが強く、発信にも力を入れていきたいと考えています。越前おろしそばを全国に誇れるブランドにしていきたいですし、ウリにしていきたいですよね。
また、それ以外にも、蕎麦の漫画やアニメなんかも面白いとお持っています。クリエイターの方と繋がれたら嬉しいです。
また、積極的に、お蕎麦のイベントがあるなら全国各地に出ていきますよ。心の底から、福井、そして越前おろしそばを全国の人に知ってもらいたいと思っています。 是非、福井へ、美味しい越前おろしそばを食べにいらしてくださいね。
<ありがとうございました。最後になりますが、永見さんにとっての【そば色】を教えてください>
難しい問ですね。笑
そうですねぇ
【“紫紺色”ですかね。】
高貴な色、この上ない、最上級のものだと思っています。
店舗情報
店名:あみだそば 遊歩庵
住所:〒910-0006 福井県福井市中央1-9-1
TEL:0776-76-3519
営業時間:11:30~14:00
定休日:不定休