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そば創りノ日々

手打ち蕎麦の美味しさと楽しさを老若男女に届ける蕎麦打ちパフォーマー


“蕎麦”に携わる人々の想いを紡いでいく、【そば色ノ日々】。今回は、元々は証券会社の営業マンとしてキャリアをスタートし、様々な経験を経て、現在は蕎麦打ちパフォーマーとして手打ち蕎麦の美味しさ、そして蕎麦打ちの楽しさを老若男女に届けるために日々活動をしている、岩品さんの”想い”を紡いでいきたいと思います。

プロフィール
岩品 幸司さんの略歴>
1964年東京都足立区生まれ。大学卒業後は10年ほど証券マンとして活躍後、家業の飲食業の手伝いをはじめることをきっかけに飲食業界に転身。都内の老舗蕎麦屋での修行を経て、現在は蕎麦打ち講師、蕎麦打ちパフォーマーとして活躍中。
蕎麦打ち講師/蕎麦打ちパフォーマー/手打ちうどん講師/フードアナリスト/しらたき料理研究家/炊き込みご飯研究家

──岩品さん、本日は大変にお忙しい中にも関わらず、こうしてインタビューのお時間をいただきましてありがとうございます。私自身も岩品さんとSNSで交流させていただき、また蕎麦打ち教室にも2,3回ほどお邪魔させていただきながら、岩品さんのお人柄と、お蕎麦への熱い想いに感銘を受けていまして、こうしてインタビューさせていただけること、大変に嬉しく思っています。よろしくお願いします。

いえいえ、こちらこそこうして自分のお蕎麦への想いを語らせていただける貴重な機会をいただけて本当に感謝しています。ありがとうございます。

──早速なのですが、岩品さんが、蕎麦打ち講師、そして蕎麦打ちパフォーマーとして活躍される様になるまでのキャリアと、そこに込められてきている想いについて色々とお話をお伺いさせていただければと思います。岩品さんは、もともとから“食”に携わるお仕事をされていたのでしょうか?

私は元々東京都の足立区に生まれまして、育ちもずっと東京です。大学を出てからは、証券マンとして営業を10年ほどしていたのですが、もともと実家がずっと自営をしていたこともあって、生涯サラリーマンを続けていくことは無いだろうなと、ぼんやりとは考えていたんですね。

その頃から、父と兄が、静岡県の伊東で、父が洋食を、そして兄が中華料理屋をやっていたのですが、丁度バブル最盛期というコトもあり、サラリーマンをやっているよりも、自分でビジネスをした方が儲かるし、なによりやりがいがあるぞ、と二人から声を掛けられたんですね。

とはいえ、証券マンとしていままで仕事をしてきていて、何か今すぐに新しいビジネスを始められることが思いつかなかったのですが、父と兄に『何をしたらいいかなぁ』と相談してみたところ、今後は高齢化も進むし、“蕎麦”を始めてみたら息を長く商売していけるんじゃないか?とアドバイスをいただいたことがきっかけで、お蕎麦の道に足を踏み入れてみようと思う様になりました。

──ご家族の後押しが、岩品さんが今でもこうして“蕎麦”の業界にいらっしゃる最初のきっかけだったのですね。とはいえ、急に“蕎麦”といっても、なかなか直ぐに始められるものでも無いと思うのですが、どのようにしてこの道を進んでいらしたのでしょうか?

今はもう離婚をしてしまっているのですが、元の奥さんの友人の旦那さんが、手打ち蕎麦屋を丁度開くという話しが、タイミングよく入ってきたんですよ。私はまだその時証券マンとしてサラリーマンをしていましたから、お休みの土曜日だけ、そこのお店に入らせてもらって、蕎麦打ちを教えてほしいということでお願いをしてみることにしたんです。

皿洗いや雑務のお手伝いを無償でやるから、蕎麦打ちを教えてくれと、頼み込んでみた結果、ありがたいことに想いが伝わって受け入れていただき、毎週土曜日に、そのお店で蕎麦打ちを勉強するようになりました。

──想うだけではなく、そうして熱量をもって即行動に移されていることが本当に素敵だと思いました。そこでの修行を経て、次はどのような展開があったのでしょうか?

時を同じくして、父と兄が、静岡県の伊東から千葉県の松戸に活動拠点を移す話をしていたんですよね。私が蕎麦打ちを出来るようになったこともあって、父の洋食、兄の中華、そして私の蕎麦が楽しめる、今でいうところの色んな料理を一つのお店で楽しめるファミレスであったり、フードコートのような、当時はなかなかに珍しい業態の飲食ビジネスを始めることにしたんです。

初めは物珍しさもあって、そこそこの商売にはなっていたのですが、当時は“専門店”が飲食業において当たり前だったこともあって、色々な食事を愉しめるのは良いものの、個々の料理については、専門店に比べると1.5流だという印象を持たれてしまったのですね。

結果、あまり売り上げも続かずに、残念ながら5年ほどでその商売もたたむことになってしまいました。 そんな中、またサラリ―マンに戻るのも、どうも違うよなぁーという想いと、お蕎麦で手に職を持ちたいという想いはその時からもさらに強くなり、さまざまなご縁もあって、浜松町の更科布屋さんで仕事をさせてもらうことになりました。

結果として11年ほどそちらでお世話になりました。

──11年もお勤めになられたのですね!そこから蕎麦打ち講師として独立に向けて動いていくきっかけはあったのでしょうか?

そうですねぇ、最近は多くのお蕎麦屋さんが同じ課題を抱えていると思うのですが、特に老舗のお蕎麦屋さんですと、働いている方々が結構歳を重ねた人たちが多いんですよね。そうした環境にずっといる中で、このままだと、お蕎麦の文化が衰退していってしまうのでは?という危機感を持ち始めて、ここに居続けるだけではなく、お蕎麦の文化というもの自体をもっともっと広めていくような、そんな活動にも貢献していかなくてはという想いが日に日に強くなっていきました。

また、もともと自分自身、人に“教える”ということも好きだったということもあります。実は学生時代にも、経済学部に通いながらも、学校の先生になりたいという夢もあり、少し教育課程に入ろうと考えていた時期もありました。しかし残念ながら、通学時間やもろもろの理由もあって、その時は断念してしまったのですが、身体の芯の部分では、人に“教える”ということも生業にしたいという想いが続いていたのだと思います。

また、松戸で飲食店をやっていた時にも、近くの小学校が、子供たちに職業体験をえられるようにと、近隣のケーキ屋さんや、和菓子屋さん、そしてパン屋さんなどを学校に一堂に集めるイベントをやっていたんですね。その時に私にも、お蕎麦屋さんとして参加してくれないかというオファーがあり、喜んで子供たちに蕎麦打ちを教えてあげました。その時の子供たちのキラキラとした目をずっと忘れることが出来なかったんですよね。

そんな背景もあって、お蕎麦の文化を紡いでいくためにとの強い想いのもと、上機嫌さんも来ていただいた、蕎麦打ち教室を始めるに至ったんです。

──岩品さんの蕎麦打ち教室の説明は本当に分かりやすいですし、なにより楽しいんですよね。その蕎麦打ち教室が始まるに至った背景について、初めてお伺いできて、より岩品さんの蕎麦打ち教室のファンになりました。ところで、蕎麦打ち教室を始める際に、最初の頃は集客なんかも大変だったんじゃないか?と想像するのですが、実際のところは如何でしたか?

実は、最初のころはなかなか定期的に蕎麦打ち教室を開くことができる会場が見つからずに苦労しました。一年くらいは場所が見つからず、何もできない日々が続いてしまったのですが、とある知り合いのお蕎麦屋さんから休みの日に間借りでやってもらってもいいよという時に臨時で開催したり、フードアナリストのお店で臨時開催したりしていました。

本当に不定期でしたね、あの当時は。

そんなある日、とあるフードアナリスト仲間から、清新町コミュニティ会館は、場所代の単価も比較的安価だということを教えてもらい、それ以来、その場所で継続して蕎麦打ち教室を開催しています。

開始当初は、フードアナリスト仲間に来てもらっていました。

その後は、Facebook等のSNSを活用して、徐々に徐々に認知も広がっていって、おかげさまで集客には困らないくらいになってきました。

仲間とのつながりが、またその次のつながりを紡いでいっていただいていまして、とても嬉しく思っていますし、それだけ皆さんが満足してもらえる内容を蕎麦打ち教室でお届けできているのだろうなとも思っています。

──素敵なお仲間に囲まれていて、本当に素敵だなと思います。そんな岩品さんですが、今後店舗を持つことは、考えられていたりするのでしょうか?

自分自身、一度お店で失敗していることもあり、お店を持つことはリスクだとも考えています。お店を持たない形で、いかにして、お蕎麦の仕事をしていけるか、それを探求し続けてきました。今になって思うと、お店を持っていたら、コロナ渦もとても大変だったんじゃないかなとも思います。やはり自分は、蕎麦打ちをコンテンツとして、コンテンツをビジネスにしていきたいと思っています。それが、蕎麦打ち教室であったり、蕎麦打ちパフォーマンスであったりするのだと思います。

実は、二か月毎に渋谷の日本酒ギャラリー壺の中での『酒と蕎麦』イベントや、浅草橋のLittle Japanにて毎月第4土曜日に蕎麦ランチ営業をしたり、スパイスカレーとコラボをしたりしています。いろんな方々と、お蕎麦でコラボをして、今後もより楽しい蕎麦打ちと、お蕎麦の楽しみ方の可能性を探求していきたいと思っています。

──岩品さんの今後の展望についてお伺いできますでしょうか?

今後はお蕎麦のプロになろうと思っている方々に、蕎麦打ちを教えて、お蕎麦のプロの養成をしていきたいと考えています。

そうすることで、次の世代に、お蕎麦の文化をしっかりと伝承していけると考えています。私はお蕎麦は本当に日本の誇るべき文化だと考えていますし、この技術をしっかりと紡いでいきたいと思っています。

蕎麦打ち教室には、おじいちゃんおばあちゃんも来てくれるし、ご家族で来てくれることもあります。幅広い世代の方々にお蕎麦の美味しさを知っていただき、多くのお蕎麦屋さんに足を運んでもらえたら、嬉しいですね。

また、子供たちに蕎麦打ちを教えているとき、本当にみんな楽しそうに蕎麦打ちをするんですよね。水回しをするときなどに、親が手を出そうとすると、かたくなに自分でやる!と言って、全く手を出させないんですよね。笑 最後までやり切りたいという気持ちが子供たちに芽生えるみたいですね。

また、子供たちは本当に覚えが早いんですよ。3回目、4回目にもなると、次の工程を私がいうより早くやってしまうくらいです。笑

子供たちが蕎麦打ちに初めて来たときに、好きな麺は何かと聞くと、大概はラーメンやうどんという答えが返ってきます。でも、一度でも自分で打つと、最後には蕎麦が一番大好き!と言ってくれるんですよね。この上なく嬉しい瞬間ですよね。

蕎麦打ちって五感を使うんですよね。子供向けの知育にも、高齢者向けにもとてもいいアクティビティだと思っています。また、蕎麦打ちをしていると自然と年齢も、性別も関係なく、みんなが楽しくコミュニケーションが生まれるんですよね。そうした場を今後も作っていきたいと思っています。

あとは、大みそかにみんなで集まって、午前中に蕎麦打ちをして、夜には自分たちで打った年越しそばを家族で愉しむという、大規模なイベントをやってみたいと思っています。年越しそばって、きっと家族の会話も弾むでしょうし、そうした場をもっともっと広げていきたいと思っています。

<岩品さん、素敵なお話をありがとうございました。それでは最後に、あなたにとっての“そば色”とは?

【“スカイブルー”ですね。】

私は、全日本晴れ男・晴れ女協会認定の晴れ男なんですよ。

今まで蕎麦打ち教室を8年間やっていますが、87%で晴れなんです。

雲一つない、真っ青な空の色。 それが私にとってのそば色です!

岩品さんのSNS

Facebook :https://www.facebook.com/koji.iwashina

Instagram :@koji.iwashina

HP :https://www.sobayaki.com

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蕎麦屋 de 上機嫌

蕎麦屋 de 上機嫌

蕎麦酒タニスタ兼インスタグラマー

幼少期と学生時代、そして仕事でシンガポール、インド、ミャンマーと渡り歩いた末に帰国。お蕎麦屋さんでいただく“一杯”の魅力に取りつかれ、現在は全国のお蕎麦屋さん巡りをライフワークにする蕎麦屋酒ニスタ。 普段はIT系上場企業にてDXな事業に従事する傍ら、日々、蕎麦屋酒の魅力をSNSを通じて発信中                          InstagramID:sobaya.de.jyokigen

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