“蕎麦”に携わる人々の想いを紡いでいく、【そば色ノ日々】。今回は、複数のお蕎麦屋さんでの修行経験の末、器から蕎麦前の一品一品に至るまで、自身の納得する蕎麦屋でのひと時を提供していきたいと、根津で『松風』を営まれている、山田さんのお蕎麦への想いを紡いで行きたいと思います。
プロフィール |
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<山田 一良さん略歴> 1977年埼玉県生まれ。東京農業大学へ進学を機に上京。卒業後は八芳園に就職後、実家の蕎麦屋を継ぐことを念頭に、複数の蕎麦屋での修行後、根津の地にて【松風】を独立開店。学生時代はハウスのダンサー。 |
—山田さん、本日は週末の夜の営業前のお忙しい中にも関わらず、貴重なインタビューのお時間をいただきありがとうございます。山田さんとは、かれこれ数年来、お店に通わせていただいている仲ではあるものの、ゆっくりとこうして対話をさせていただくのは初めてなので、今日は色々とお話をお伺いできること、楽しみにしていました。よろしくお願いします。
こちらこそ、いつもありがとうございます。ぜひ、色々とお話させていただけると嬉しいです。よろしくお願いします。
—早速なのですが、山田さんは元々育ちも東京なのでしょうか?
元々出身は埼玉県になります。実は実家も、埼玉県の寄居という場所で蕎麦屋をやっていまして、屋号も同じ【松風】です。ちなみに、【松風】の本店は品川にあります。高校卒業して、東京農業大学への進学を機に上京してきました。
—ご実家がお蕎麦屋さんを営まれていることもあって、食や農業に元々関心をお持ちだったのですね。
勿論関心はあって進学をしました。いまではこんな感じに落ち着いてはいますが、ハウスのダンスに明け暮れていまして、日焼けして、髪型もドレッドでした。笑 もちろん、勉学もしっかりとこなしながらですけどね!
学業、私生活とも、学生時代を愉しんだのち、卒業のタイミングで、やはり飲食に近い仕事に携わりたいという想いもあって、結婚式場の八芳園に就職させていただきました。そちらでは、築地を担当し、食材の仕入れをしていました。その時があったからこそ、築地のさかな屋さんや八百屋さんとも関係を作ることができました。
また、八芳園なので、食器もとても拘られているものが多く、そうした若い時に触れさせていただいた、インプットが、今の松風の“拘り”にも活きていると思います。
八芳園には結局5年ほどお世話になりましたね。ある程度の経験を積ませていただき、28才の時ですが、さて自分はこれからどのように生きていくかと考えた時に、やはり“蕎麦”をやっていきたいという想いが強くなっていきました。
もちろん実家で修行しても良かったのですが、流石に“甘え”が出てしまうなとの想いもあって、二年間ほどは品川の本店の方でびっしりと蕎麦の基礎を教えて頂きました。その後、名店と言われるお店での経験も積みたいとの想いから、【ほそ川】の門をたたき、5年間ほど修行をさせていただきました。
その後、自分自身が独立した後のことを考えて、効率的な蕎麦屋のオペレーションも学びたく、本陣坊での修行を経て、一人でお店を回すためのノウハウも吸収させていただき、42歳の時に独立して、ここ根津の地で、松風を開店させていただきました。
—ひとつひとつの経験の積み上げが、今の松風さんを形作っているのですね。独立の地として、なぜ根津を選ばれたのでしょうか?
元々千駄木に住んでいたということもあり、この辺りに馴染みがあったということと、何よりもお蕎麦屋さんがとても多い土地だということも理由の一つでした。
—お蕎麦屋さんが多いと、競争も激しいので、どちらかというと避けるのかなと思っていました。
私はむしろその逆の考えでした。お蕎麦屋さんが多いところに、新しく入っていった方が、注目をしていただけるチャンスも多いのかなと思い、根津を選びました。結果として、6年経った今では、多くの蕎麦、そして飲食関係の仲間とも繋がり、楽しくやらせていただいています。 そうした繋がりが増えていったのも、ありがたいことに谷根千を中心として情報の発信をされている、【rojiroji】さんに、開店してすぐのタイミングで知り合うことが出来て、輪が一気に広がっていきましたね。それも、やはりこの地で新しく蕎麦屋を開くというコトが話題のきっかけとなっての接点でした。
—松風の拘りを教えて頂けますでしょうか
“美味しい”をベースにしつつも、そこに何か新しい、そして面白い捻りを加えたお蕎麦を出していきたいと常に考えています。
例えば、パクチーのかき揚げ蕎麦、また、ブラッドオレンジやピンクグレープフルーツなどを使ったフルーツ冷かけそばなどにも挑戦していますが、お陰様でお客様からもご好評いただいています。
美味しさの先の、オリジナリティにも拘って今後もやっていきたいと思っています。
また蕎麦前に関しても、様々な修行先での経験を基に、蕎麦屋だから出す一品料理、ということではなく、『自分がこれだ!』というものに拘りをもってお出ししています。蕎麦だけでもだめ、蕎麦前だけでもだめ、日本酒だけでもだめ、お店の雰囲気だけでもだめ、すべてにおいて自分自身が納得できるものを、お客様にも松風で愉しんでいただきたいと思っています。
—最後に、今後の展望についてお話をお伺いできますでしょうか
なによりも、蕎麦を極めていきたいですね。お店を大きくしていくとかは特に考えておらず、毎日一ミリでも高みに上がっていけるように、そして、自分がより美味しいと思うお蕎麦を打ち、そしてお客様に愉しんでいただけると、嬉しいですよね。
また、根津からの移動、移転は考えられないですね。一生ここでやっていきたいと思っていて、今まで沢山ここのコミュニティに助けられてきたので、今後は少しでもお返ししていけるように頑張っていきたいと思っています。
<最後に、山田さんにとって“そば色”とは?>
【“えんじ色”ですね】
お店の名刺の色にもしているのですが、びしっとしているイメージがあります。今後蕎麦はもっともっと高級なものになっていくと思っています。私にとって、背筋がしゃんと伸びる色ですね。
蕎麦 松風さんのSNS
Instagram :@soba.matsukaze