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そば産みノ日々

長野県北志賀高原 須賀川の地で代々伝わるオヤマボクチのそばを継承したい~祖父の夢・想いを私の手で繋ぐ~


“蕎麦”に携わる人々の想いを紡いでいく、【そば色ノ日々】。第二回目の今回は、長野県は須賀川の地にて代々伝わる、強いコシが特徴のそばを発信している畔上清加さんをご紹介させていただきます。

プロフィール
<畔上清加さんの略歴>
1998年11月12日生まれ 24歳
長野県下高井郡山ノ内町出身 長野県長野市在住。
高校を卒業後、一般企業へ就職。
憧れのそば打ち職人→女流そば打ち職人 棚橋由佳さん

──本日はお忙しい中にも関わらず、インタビューのお時間をいただきまして本当にありがとうございます。早速いろいろとお話をお伺いしていきたいと思いますが、まずは畔上さんの自己紹介からお願いできますでしょうか?

 私は、長野県の山ノ内町で生まれ育ち、高校を卒業後、一般企業に就職。 強い想いもあって、現在は北志賀高原の地で、先祖代々伝わる須賀川そばを広く多くの人に知ってもらいたくて、プロモーション活動をしています。また、今後は法人化やお蕎麦屋さんの経営等にも活動を広げていきたいと考えています。

──一般企業にお勤め後に、早い段階から”お蕎麦”業界への転身は勇気が必要だったのではと思いますが、須賀川そばの魅力を広く多くの人に伝えたいとの熱い想いは、どのようにして芽生えたのでしょうか?

 事務の仕事をしながらも、元々から漠然と『何か自分で始めたい』という気持ちがあったんですよね。ただ、何を始めたら良いかが全然分からないまま、悶々としていました。

そんな中、2021年冬頃に祖母が体調を崩してしまって頻繁に祖母の住む須賀川に行ったり、私の家に療養に来たりと、祖母と会話することが多くなりました。 その会話の中で、祖父がお蕎麦屋さんをやりたかったことを知りました。
蕎麦打ちの道具も、蕎麦の打ち台も一式すべて揃え、調理師免許の資格を取る予定で動いていたようなのですが、お蕎麦屋さんを開業しようとした矢先に、他界してしまったんです。
そうしたお蕎麦にまつわる話しを初めて聞いた時に、そういえば幼少のころからお蕎麦は良く食べていて、大好きだったことをふと思い出しました。 そうした祖父の気持ちを私が引き継ぎたいという想いが芽生えるようになりました。

──そうしたおじい様の想いが畔上さんをお蕎麦の道に進める後押しとなったのですね。

 そうなんです。そして更に話しを聞いていくと、実は祖父は須賀川地区の、もともと水がひけず、畑に出来なかった休眠地に、竜王山から水をひくプロジェクトのリーダーをされていたようでして、町のみんなの先頭にたって蕎麦畑を作っていたとのことも知り、なおさら祖父のお蕎麦への想いを引き継ぎたいという気持ちが強まりました。

≪水を引いた時の記念碑≫

 私にとって、須賀川そばは生活の身近にあり当たり前のものだったのですが、意外と県内の人でも、須賀川そばのことをしらない人が多いことに驚きとショックを感じました。
同じ町内の人ですら、須賀川そばを知らなかったですし、更に職場や友人は全くと言って いいほど須賀川地区自体を知らなかったんですね。

──おじい様の蕎麦への想いを引き継がれていて、本当に素敵だなと思いました。ところで、須賀川ではお蕎麦は古くから生活に密着し、とても馴染み深いモノだったのでしょうか?

 はい、これは祖母から聞いていた話なのですが、須賀川では、女性は蕎麦が打てないと、嫁ぐことが難しいと言われていたほど、お蕎麦の文化が根付いています。

もちろん祖母も昔はそば打ちをしていましたし、その道具の一部は現在私が使用し 受け継いでいます。

──そうした伝統あるお蕎麦を広めようと活動を始められたのですが、どのようにして活動を開始されたのでしょうか?

 始めはただただ須賀川のお蕎麦を販売出来たらと思い、インスタグラム等のSNSを通じて発信を始めました。
ですが、発信をしているだけでは本質的な魅力を自分自身が理解しないまま、表面的な内容になってしまっていることに気づき、実際の蕎麦打ちにも現在取り組みを始めています。
 最初は、すぐに根をあげるだろうと家族も思っていたようで、なかなか受け入れてはもらえなかったのですが、職人になるには3-5年はかかると言われている修行も根気強く続けている姿を見て、そば打ち道具を使わせてくれるようになったのかもしれません。  また、須賀川のお蕎麦をもっと広めるために、流通も強化したいなどの話しも持ち掛けさせて頂いています。いきなり大きく始めることは難しいですが、須賀川地区の皆様にご協力頂き私がその辺りを担っていきたいなと思っています。

──ありがとうございます。ここで少し、そもそも須賀川蕎麦の特徴について教えて頂くことは出来ますでしょうか?

なによりも、つなぎにオヤマボクチを使うことが最大の特徴だと思っています。

≪収穫前のオヤマボクチ≫

 オヤマボクチはご存じでしょうか?
オヤマボクチは、キク科のヤマゴボウの仲間です。

ただ、牛蒡の様に根っこを食料として使うことはなく、あくまでも、葉っぱの部分だけを、お蕎麦のつなぎとして使うのが特徴です。
 その葉っぱを、煮て、干して繊維にし、つなぎとして使います。
実際に私もつなぎ作りを体験したのですが、時間がかかる大変な作業でした。 そのうえ、取れる量もとても少なく、貴重なものです

≪つなぎにしたオヤマボクチ≫

 そのオヤマボクチ自体の作り手やそばの打ち手も減りつつあることをお聞きしました。
先ほど、オヤマボクチを作る工程を実際に体験したとお話ししましたが、よりそば自体について理解を深めるために、蕎麦の種まきを行い、実際に収穫の工程を拝見しました。 そうして作った、蕎麦粉と、オヤマボクチを使って、自分で始めてお蕎麦を打った時の感動は今でも忘れられないです。

──オヤマボクチを繋ぎに使う以外に、須賀川そばの他の特徴はあるのでしょうか?

何よりも、蕎麦打ちに時間がかかることが特徴の一つですね。
 信じられないかと思いますが、ベテランの職人さんでも、10人前1キロを打とうとすると、練り上げるのに20~30分、生地を伸した後はすぐに切らずに生地を寝かせ、乾燥させる時間もありますので、お蕎麦を切るまで、実に一時間半程かかるのです。  須賀川そばはしっかりとしたコシが魅力なのですが、そのコシは、しっかりと時間を掛けて練る工程と、オヤマボクチから生まれています。
 そうして打つこと自体も大変ですし、大変に手間がかかることもあって、打ち手の継承者がなかなか生まれないことが本当に課題になっています。
こんなにも素敵な須賀川蕎麦の文化、私は是非後世にも残していきたいという想いで頑張っています。祖父の想いを継ぎたいという想いから始まった蕎麦との関わりですが、今までそば畑を守ってきてくれたコトや、須賀川の文化をしっかりと残していきたいという想いが、日に日に増していることを自分で感じています。

──それだけの想いがあると、町の方々からも応援を多く受けられていらっしゃるでしょうね。

先ほども話した通り、最初は『なんだこの若いのが』と思われていたと思います。 また、家族も企業に勤め続けた安定した生活の方が良いのでは?と思われていたと思います。
しかし、この活動は始めてから、半年くらいしか経ってはいないのですが、想いを伝え続けていることで、町の方々や、そばの関係者の方々も、親切に須賀川そばの打ち方教えてくれるようになり、とても優しい師匠も出来ました!(笑) また、そばを通じてSNS上で知り合えた仲間がいるおかげでとても心強いです。

≪小河原師匠≫

通常、師匠も蕎麦打ちを無償で教えるようなことはしないのですが、、 私には無償で教えてくれていて、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。

また、10月に行われている、須賀川そばの新そば祭りでふるまうお蕎麦の打ち手としても誘っていただけたのは嬉しかったです。
(コロナウイルスの影響により3年ぶりの開催) 町の方からも、このまま須賀川そばの活動続けてね!と応援もしてもらえるようになり、本当にこの活動を始めてよかったなと感じています。

──今後更に活動の幅を広げて行かれると思いますが、展望を教えて頂けますでしょうか?

まず一つ目は、自分のそば畑を作りたいと考えています。
長野には荒地や、休眠の地が沢山あるので、うまく活用してそばを作りたいと思っています。 また、お蕎麦だけではなく、オヤマボクチを作りたいですね。
しかし、畑はありますが、高齢化が進んでおり管理が出来る人の数にも限りがあります。そこで、IoTを活用した新しいスマート農業に取り組んでみたり、新しい形の持続可能なそば畑を作りや里山の良い土を活かした活動をしたいです!
 さらには、県外、特に都心部に住まれている方々とのつながりで関係人口を増やしたいとも考えています。例えばサブスクのような形で、畑を手軽に所有してもらい、収穫の際などには、実際に地に足を運んでもらい、一緒に収穫し、そば打ちの体験まで併せてご提供することで、そば文化をより広めていけるような活動もしていきたいと思っています。
 そうした、県外の人と人をつなぐ、ハブのような役割を今後担っていきたいとも思っています。

≪町の方との懇談≫

二つ目の目標は、自分のお蕎麦屋さんを開きたいと考えています。 美味しいお蕎麦や魅力ある信州の食材を使ったお料理、信州の美味しい日本酒も楽しんで貰える場を作りたいです。
 さらには、県外の方にも須賀川そばをより身近に感じてもらえるように、流通面も改革していきたいと考えています。現在は冷凍蕎麦をお取り寄せでやってはいますが、いずれは自身で打ったお蕎麦をご家庭でも召し上がっていただける、味わい深いそばをそのまま お届けしたいと思い、試行錯誤しています。
 そうして蕎麦粉の需要が増えることで、畑のニーズも増しますし、結果として、休眠地の有効活用にも繋がって、農業に興味のある方の移住も促進できることで、持続可能な街づくりに繋がることを大きな展望として描いています。
 そのためにもまずは、SNSによる発信は継続していきたいと思っています。
本当に須賀川そばが大好きなんです。 祖父の想いを知った今、私がしっかり継承していきたいです。

<最後に、畔上さんにとっての【そば色】は?>

“水”の色ですね。

私がこうしてお蕎麦に関わっているのも、祖父が畑に水を引いてくれたことがきっかけだと思っています。
お蕎麦は水が大切ですし、お蕎麦は私にとって水と同じように生活に絶対必要なもの。そして、世界に誇る日本の伝統食だと思っています。須賀川そばがもっと多くの人に、”水”のように当たり前にしっていただけている存在になってほしいです。 そして、つなぎのように人と人との関係、モノとモノのつながりを大切にしこれからも頑張りたいです。

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蕎麦屋 de 上機嫌

蕎麦屋 de 上機嫌

蕎麦酒タニスタ兼インスタグラマー

幼少期と学生時代、そして仕事でシンガポール、インド、ミャンマーと渡り歩いた末に帰国。お蕎麦屋さんでいただく“一杯”の魅力に取りつかれ、現在は全国のお蕎麦屋さん巡りをライフワークにする蕎麦屋酒ニスタ。 普段はIT系上場企業にてDXな事業に従事する傍ら、日々、蕎麦屋酒の魅力をSNSを通じて発信中                          InstagramID:sobaya.de.jyokigen

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